ハプスブルク家とケネディ家

ミュージカル”Rudolf”とは直接関係ある話題ではありませんが、3月22日付のオーストリアの新聞Kurierに、ハプスブルク家とケネディ家にまつわる興味深い記事が掲載されていました。

記事の主役は、Lisa Lanettというアメリカ在住の87歳のオーストリア人女性。かつてはダンサーそして女優であったという、6度の結婚歴を持つこの女性は、1945年にあのJohn F. Kennedyとの間にTonyという息子をもうけたと告白しています。インタビュアーはKurierのコラムニストGeorg Markus。Mary Vetseraの遺骨盗難事件の犯人と接触し、事件の顛末をまとめた”Kriminalfall Mayerling. Leben und Sterben der Mary Vetsera”(邦題「うたかたの恋と墓泥棒」)の著者です。

Lisa Lanettは1921年、Elisabeth Hortenauという名でウィーンに生まれました。彼女の祖父はErzherzog Otto(オットー大公)。オーストリア最後の皇帝Karl(カール1世)の父親で、Rudolfの父皇帝Franz Josephの甥に当たる人物です。プレイボーイで鳴らしたOttoは、愛人のダンサーMarie Schleinzerとの間に二人の子供をもうけており、そのうちの一人、Alfred Joseph von HortenauがLisa Lanettの父親だそうです。

Hitlerがオーストリアに侵攻した1938年、丁度母親とローマにいたLisa Lanettは、そのままアメリカに亡命しました。メキシコ人男性との短い結婚生活のあと、アリゾナ州Phoenix(フェニックス)でモーテル経営をしていた母の元に身を寄せた彼女は、そこに住んでいた若い水兵と恋に落ちたそうです。それが当時25歳のJohn F. Kennedyだというのです。

妊娠が分かったとき、KennedyはLisaにプロポーズしたそうですが、自由な生活を享受していた彼女はその申し出を断ったそうです。息子が生まれ、KennedyがJacqueline Bouvierと1953年に結婚したあとも、二人は連絡を取り合っており、Kennedyは息子に会いに来たこともあるとLisaは語っています。

Lisaの息子Tonyは現在63歳。当初は自分の父親はメキシコ人だと聞かされていたそうですが、今から30年前に、初めて母親から秘密を打ち明けられたと述べています。当時はDNA鑑定技術もなく、Kennedyが父親であるという証拠は何もないそうですが、記録によるとKennedyがその時期Phoenixにいたことは確かだということです。

翌3月23日付けのKurierにも、この記事の続報が載っています。

Kennedyとの関係が、何故今日まで全く知られていなかったかという疑問については、1944年にKennedyの兄が飛行機事故で死亡し、父親の期待が次男のKennedyにかかったため、政治家生命に影響を与える私生児の存在については、以後語られることはなかったと説明されています。

TonyとKennedyの親子関係については、Kennedy家の協力が得られればDNA鑑定で証明可能だそうですが、今のところKennedy家側はこの件について関心を示してはいないそうです。またGeorg Markusが写真を元に、二人の専門家に法医学的見解を求めたところ、一人は親子関係の存在を示唆したものの、もう一人は可能性を否定するという別々の結果が出たそうです。

なおLisaの祖母に当たるMarie Schleinzerは、Ottoの存命中に医者のDr. Julius Hortenauと結婚しています。いわば皇族の「お下がり」をもらい受けたという形ですが、当時はよくあった話で、愛人を皇帝一族から離し、子供共々普通の市民として暮らしていけるようにするための処置だったようです。彼女の夫は後に貴族に叙せられ、”von Hortenau”と名乗ることになります。

どの程度真実なのかは分かりませんが、アメリカの王家的存在のKennedy一族と、欧州に君臨していたHabsburg家に関係があるかもしれないという話、歴史の浅さにコンプレックスを持つアメリカ人が大喜びしそうに思えます。

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