Marie Antoinette in Tecklenburg 2012年7月 Part 4

2012年7月ドイツの旅、Tecklenburg(テクレンブルク)の野外演劇祭Freilichtspiele Tecklenburgでの”Marie Antoinette”観劇記、Part 3はこちらです。

2幕は牢屋に捕らわれたMargridのソロから始まります。新曲”Ich bin etwas wert”(私にも何かの価値がある)では、Margridの抱える孤独、12歳で家を失い、父親がいないために仲間に入れて貰えず、唾を吐きかけられ嘲笑された辛い過去が歌われていました。曲調は”Rebecca”の”Zeit in einer Flasche”(永遠の瞬間)によく似ていました。Margridを訪ねてきたAgnésは、Orléansが味方になってくれると言いますが、Margridは彼を信用していません。またAgnésは例の学費担当だった修道女から返信が来たこと、それによると学費関係の手紙の封蝋にはオーストリア王家の紋章が使われていたことをMargridに伝えます。Margridの父親は皇室関係の貴人か、もしくは皇帝自身かもと興奮するAgnésに対し、冷めた態度のMargrid。手紙をAgnésから受け取ろうとはしません。

牢から兵士に引き出されたMargridは、裁判の場へ連れて行かれます。二階建てセットの前に民衆が集まり、裁判の結果を待ち構えています。二階から登場したOrléansが、民衆を煽ります。大司教Rohanがカーテンの向こうから姿を現し無罪を告げると、民衆は彼の名前を何度も呼び、興奮の渦が巻き起こります。王妃を罵るRohan。Margridの身を案じるAgnés。彼女のたった一つの罪は、王妃に似ていることと言うOrléans。やがて現れたMargridも、拳を振り上げ誇らしげに無罪を宣言します。興奮した民衆が去った後、Agnésは「王妃が首飾りを買っていないことを一番良く知っているのはあなたでしょう」とMargridに言いますが、Margridは意に介さずその場を立ち去ります。

一人になったAgnésのソロ”Gott sieht uns zu”(神は愛して下さる)。歌の途中、ボロを身に纏った乞食が一人、おぼつかない足取りで現れます。途中でくずおれた乞食を腕に抱え、頭をなでながら歌い続けるAgnés。動かなくなった乞食を置いて彼女が立ち去った後、ボロを脱いで立ち上がったのはCagliostro。指揮者の後ろにボロ布を落とし、新曲ソロ”Wenn Wölfe heulen”(狼が吠えるとき)を楽しげに歌い始めます。舞台には貴族や民衆達が登場。Cagliostroはその間を歩き回ります。セットの二階部分には王や関係者が登場します。歌の内容は税金の話から始まっていたので、恐らく財政改革の失敗や三部会の招集ではないかと思いますが、残念ながら単語程度しか聞き取れませんでした。サビの部分”Wenn Wölfe heulen, hör’n sie nicht auf Geigen”(「狼が吠えるとヴァイオリンは聞こえない」、musicalzentraleの劇評に載っていました)は、東宝版エリザベート初演時にあった『夢とうつつの狭間に』のサビのメロディーによく似ていると思いました。このメロディー、Hamburg(ハンブルク)版”MOZART!”に出てきたWolfgangが故郷を旅立つときの歌(東宝版にはありません)にも使われていて、Hamburgで聴いたときに「おやおや?」と思った記憶があります。Levay御大のお気に入りのメロディーなのでしょうか。場面の最後では、東宝版で暴徒達の行進の際に使われた『我らは兄弟』のメロディーを勢揃いした民衆が合唱します。その前で指揮を執るのはCagliostro。

このままの流れで『金が決め手』の場面に移行します。舞台際に散らばった女達は洗濯を始めます。そこに現れたMargrid。女達にBastille(ヴァスティーユ)への行進を呼びかけますが、誰も耳を貸そうとはしません。Cagliostroも帽子とエプロンを身につけ、女達に混じって洗濯を始めます。結局女達を動かしたのは、後から現れたOrléansが配った金の力。

Margridを先頭に女達が下手に去ると、入れ替わるように上手にMarie Antoinetteが姿を見せます。「決して一緒に暮らすことが出来ない、間違った人を愛したことだけが正しいことだった」と歌う”Das Einzige, was richtig ist”(愛したことだけが)。途中から上手の高台にFersenが姿を見せ、デュエットが展開されます。縦の空間を活かし、二人の立ち位置が交わらない演出が歌の内容に合っていました。

物思いに耽っていた王妃の元に、王と女官が現れます。女達が向かってきていることを知った王妃は取り乱し、王に女達を撃つように命令させようとしますが、自分の国民を撃つことは出来ないと躊躇する王。秘密の扉から逃げ出すことも拒否する王に、王妃は傍についていることを決心します。そうこうするうちに女達が舞台の両袖から迫ってきます。民衆達に取り囲まれ、セット奥の扉に消える国王夫妻と子供達。

米国からの帰国を決意したFersenが、上手の客席サイドの通路から舞台に戻ってきます。

恐怖政治の場面では、再びCagliostroの部下達が円卓のパーツを左右から運んできます。ジャコバン党員に取り囲まれた円卓の中央には、革命家Robespierre(ロベスピエール)やジャーナリストのHébert(エベール)が入れ替わり登場し、それぞれの主張を繰り広げます。今や革命側に寝返ったOrléansは、今後一市民としてPhilippe Égalitéと名乗ることを宣言します。セットの上階から革命家達の様子を見物していたCagliostroが、Margridを王の下へスパイとして送り込むことを提案します。女は感情に動かされると反対の声が上がりますが、自分は違うというMargrid。

テュイルリー宮殿に囚われの身となった国王一家。この場所を嫌がる王子を王妃がなだめているところに、女官として仕えることになったMargridが来客を告げます。誰とも会わないと言いつけていた王妃ですが、訪問者がFersenと聞くと人払いをし、二人きりで会います。Fersenとの会話の中で、フランスに嫁入りした当時のことを思い出す王妃。Strassburg(ストラスブール)の花嫁行列の音楽が流れ、Margridが華やかな王女と貧しい自分との違いを嘆いていた一方で、Marie Antoinetteも故国オーストリアのものを捨て、フランスのものを身につけなければならなかった苦悩を打ち明けます。信頼できる人がいない宮廷の中で、唯一信頼出来たのがFersen。その彼が提案した逃亡計画を、王妃は受け入れます。

ヴァレンヌ逃亡事件の下りは、マント姿で4人の部下と共に登場したCagliostroの歌で説明されます。部下達が波打つ巨大なマントを二階建てセットの壁を覆うように広げます。Cagliostroがゆっくり上手へと姿を消していくと、マントの下から国王一家と女官のPrincesse de Lamballe(ランバル公妃)が現れます。一行は兵士達によって上手の牢屋のセットへと引き立てられます。

馬車のおもちゃで遊ぶ王子。それを作ったのは父親のLudwig XVI.(ルイ16世)。”Warum muss ich sein, was ich nicht bin?”(もしも鍛冶屋なら)を歌う王の前には、穏やかな市民生活の幻想が繰り広げられます。街角のあちこちにいる親しい人々と挨拶を交わしつつ、愛する家族が待つ家路へと向かう、そんな普通の市民としての行き方は、王家に生まれてしまった彼には手の届かないものでした。

牢の中の国王一家とPrincesse de Lamballeは、兵士とMargridに見張られています。一家に自主的についてきていたLamballeは、自分は囚人ではないので外に出たいと兵士に頼み、許可されます。兵士の台詞は全てフランス語。王子も外へ行きたいと言うのをなだめようと、王妃は”Still, still”と歌い出します。その歌はMargridがAgnésと歌ったあの曲。王妃の歌声に、途中からMargridの歌声が加わります。歌い終えると、王妃はこの歌はアルザス地方の歌で、子供の頃に城の庭で父王の膝の上で聞いたものだとMargridに告げます。そして彼女に「あなたが私のことを嫌いなのは知っているけれど、一人の女としての頼みを聞いて欲しい」と、Fersenへのラブレターを託します。ふと外を見て驚くMargrid。王が近づくのを止め、Lamballeの首を掲げた民衆が行進していると知らせます。彼らはケダモノだと言う王妃に、今までケダモノとして扱われてきたからだと答えるMargrid。

舞台下手の坂から、Orléansを先頭にフランス国旗と槍の先に突き刺したLamballeの首を掲げた民衆が行進してきます。その前にAgnésが立ちはだかりますが、Orléansに修道女に変装した貴族の女だと言われ、民衆に襲われそうになります。止めに入ったMargridが彼女は修道女で自分の先生だと言うと、一行はその場を立ち去ります。

上手の庭園のセットに抱きかかえるようにしてAgnésを連れて行くMargrid。Agnésを休ませているとFersenが現れ、王妃から預かったものを渡して欲しいとMargridに頼みます。手紙は国民公会に渡すつもりだというMargrid。ラブレターだと主張するFersen。両者の間に立ったAgnésは、自分が中身を確認すると言って手紙を開封しますが、読後に渡した相手はMargrid。手紙には諸外国への援軍の要請がしたためられていました。Margridは王妃の裏切りの証拠である手紙を持ち去ります。Fersenは王妃が囚われの身になってもなお誇り高く諦めていないことに驚嘆しつつも、王妃の取った行動が彼女を窮地に追い込むことを憂い、生きている限り彼女を守ろうと誓います。このソロのラストの音が大変美しく、細く長く空気に溶け込むように消えていったのが心に残りました。

Cagliostroが”Illusionen”(イリュージョン)のメロディーに乗せて、フランスが共和国になり、王の処刑が実行されたことを語ります。Cagliostroの歌が終わると共に、下手の円筒形のセットの後ろに聳え立つギロチンの刃が落下します。処刑台の下部はセットに隠れて見えません。やがて引き上げられた刃には真っ赤な血の跡が。毎回観客席から低いどよめきが起こっていました。個人的には初日に背後から年配の女性の声で「お~、ケチャップ!」と聞こえてきたことの方がショッキングでした・・・。

牢屋に残された王妃と子供達の下に、Margridがやって来ます。王妃の髪は真っ白になっています。王は悪い人間だったわけではないと言うMargrid。王妃はMargridが敵に手紙を渡したせいで王は処刑されたと思っていましたが、Margridは手紙はまだ自分が持っていることを打ち明けます。二人にゆっくりと近づいてきた聴聞僧が深く被っていたフードを上げると、Fersenの顔が現れます。Margridが手引きして彼を王妃に引き合わせたのでした。子供達を置いて逃げるように王妃を説得するFersen。これが最後のチャンスだと言うものの、王妃は子供達の側を離れようとはしません。Margridに促され、その場を離れるFersen。入れ替わりに兵士達とRobespierreが現れ、王子を王妃から引き離してしまいます。子供を取られまいと必死にすがる王妃。Margridも止めようとしますが、抵抗空しく王子は連れ去られてしまいます。「ただより良い世界を望んでいただけなのに・・・」と落胆するMargrid。

不気味な鐘の音が辺りに響き渡ります。舞台上に再び円卓が運び込まれ、王妃の裁判が始まります。下手の証人台にMargrid、舞台中央の被告人席にMarie Antoinetteが黒の喪服姿で立っています。王妃の罪状を読み上げる白いカツラの検事の声はCagliostro。Margridへの証人尋問もCagliostroが行います。王妃の裏切りの証拠となる手紙を受け取ったかどうかを尋ねられるも、否定するMargrid。すると今度はジャーナリストのHébertが王妃を近親相姦の罪で告発します。子供が怖がるので添い寝をしただけだとMargridは王妃を擁護しますが、Hébertは無理矢理罪をこじつけようとします。遂に発言を許された王妃は、自身にかけられた嫌疑に対し、全ての母親を傷つける恥ずべきこと、子供を苦しめるのは忌まわしいことだと非難します。「自分のことはいくらでも貶めるがいい、殺すがいい、しかし自分は折れない。苦しみの中で初めて私は本当の自分を知った」と言う王妃。彼女の涙は、自分を必要としている子供達のために流されます。そしてその場にいない息子に、復讐などしないように、前を向くように、そして母のために泣かないようにと呼びかけます。しかし彼女を血祭りに上げたい民衆の勢いは止まらず、公平を求めるMargridの叫びは有罪を主張する人々の声にかき消されてしまいます。

王妃の処刑当日、MargridはAgnésと共に王妃の最期を見届けに刑場に来ています。上手からCagliostroの部下達が荷車を引いて現れます。鉄柵で囲まれた荷台には、白い服に白髪を束ねた王妃が真っ直ぐ前を向いて立っています。荷台を降り、ギロチンへと歩き出す王妃ですが、階段の途中でつまずきます。起き上がろうとする王妃の前に、Margridが手を差し出します。彼女の手を借りて立ち上がった王妃は、首にかけていたアミュレットをはずし、「これをかけて、お父様のものよ」とMargridに手渡します。ギロチンの横に立つMarie Antoinette。民衆の間から姿を現したCagliostroは懐から取り出した覆面を被り、ギロチンを挟んで王妃と反対側に立ちます。民衆の怨嗟がこもった声が流れる中、円筒形のセットは回転し、ギロチンと共に王妃の姿は見えなくなります。

ラスト、”Blind vom Licht der vielen Kerzen”(百万のキャンドル)のメロディーが流れ、Fersenが「あなたを救おうとしたけれど、あなたは逃げようとはしなかった。誇りと毅然とした態度をもって、あなたは自分の運命を受け入れた。そして死が初めてあなたを解放した」と歌います。「私達の周りの蝋燭の火は消えた。私達が何処へ行くのかは誰も知らない。だが全ての苦しみの彼方で、私達は再び出会うだろう。そこでは私達は生あるときよりもなお近しいのだ」。最後は全員が”Frei!”(自由!)と唱和します。民衆達の前に並んでいたCagliostroの部下達は、再び舞台に登場した主人と共に、堀から奈落へと消えていきます。

台詞や細かい内容はBremen(ブレーメン)版の脚本と記憶を照らし合わせて書いているので、実際のTecklenburg版の内容と少々違うかもしれません。あしからずご了承ください。

東宝版、Bremen版、そしてTecklenburg版と形を変えて上演されてきた”Marie Antoinette”。血生臭い革命を背景にした内容は万人受けするとは言いがたいですが、正義とは何か、公正さとは何か、自由とは何かを見る者に問いかけるこの作品には、綺麗事ではない人間の本質を描き出そうとするKunze御大の冷徹な眼差しを感じます。Tecklenburg版は、ストーリー展開の点では以前より分かりやすくなった一方で、東宝版のラストの不協和音や遠藤周作の原作に感じたぞくっとさせる何か、人間のエゴをえぐり出すような鋭さは鈍ったように感じました。またCagliostroとMargridの比重が増えた分、Marie Antoinetteの存在がやや小さくなった点も少し残念に思いました。上演時間の制約がある中で、理想の形を探り当てるのはなかなか難しいことでしょう。次に”Marie Antoinette”が上演される時は、更に手が入るのではないでしょうか。日本でもまたこの作品をフルバージョンで観られること、Levay御大が付け加えた新しいメロディーを耳にする機会があることを願っています。

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5 Comments

  1. spaさん、おかげさまで「ドイツミュージカルの旅」を無事に終えて帰ってきました。本当にspaさんのおかげで感謝!語りだすときりがないので簡単にしますが、Rebecca、MAともに素晴らしかったです。Rebeccaでは日本版よりダンヴァース夫人が表情豊かですね。日本ではわりと無表情で怖い感じがしたのですが、ドイツではうろたえたり、ため息をついたり、ニヤリとしたり・・・。あの炎上シーンにはびっくりです。いったいどうなっているのでしょう。友達が買った雑誌に、種明かし(?)らしき記事が載っていたようですが、読めない・・・。
    MAはspaさんの詳しい報告で、ああ、そういうことだったのかとおさらいできました。お尻と背中が痛い(町中を座布団や毛布をかかえた人たちが歩いている訳がわかりました!)のはいささか辛いですが、そんなものも忘れるほどの素晴らしさ。ただ私もspaさんが書いていらっしゃるように、東宝版のラストも不穏な感じではありますが、いいと思います。「自由」の不確かさ、問いかけがあるようで・・・。
    ソワレだったのでだんだん夏の夕暮れになっていって舞台後ろの木々が夕日に輝く様、2幕では夜になってしまうという自然の演出もまた素敵です。帰りは満天の星空で流れ星も。
    旅の間ずっと晴天で昼間はちょっと暑いくらいでしたが、そのおかげでMA観劇もそれほど寒くはありませんでした。
    spaさんのブログでMAの上演を知って行きたいなと、はじめは夢物語だったのにホントに行くことができました。たくさんの情報をありがとうございます。海外遠征が病みつきになりそうです!ああ、でも日本でもMAを再演してほしい・・・。

    これからもよろしくお願いします。

  2. はじめまして。

    ドイツ語圏のミュージカルが好きで、
    よく覗かせて頂いています。
    MA、東宝版がどうも苦手で敬遠していましたが、
    こちらの演出でだいぶ生まれ変わっているのを伺ったら、
    この演出でもう一度見たくなりました。

    来月、ウィーンでエリザベート、ベルリンでTDV、
    シュトゥットガルトでレベッカと、
    三都市にかなり駆け足の観劇旅行に出かけます。
    出発まであとひと月をきっているので、
    かなりドキドキしていますが、
    本当に楽しみです。
    レベッカ出演中のJan Ammannを見るのも目的の一つです。
    私が行く予定の日は今のところ登板予定なので、
    このまま予定が変わらなければ良いなあ、と思っています。

    これからも、ドイツミュージカルの話題を楽しみに伺います。

  3. エムさん、お帰りなさいませ! 素敵な観劇旅行になったようで良かったです! "Rebecca"はPia夫人でしたか? 炎上シーンは凄い迫力ですよね。マスコミ向けの舞台裏見学ツアー映像に、点火から消火までの様子が映っていたので、ご紹介しておきますね。3分10秒辺りから見てみて下さい。

    http://youtu.be/GBcfBsWz2ic

    MAは毎回友人とおさらいしつつ観劇しました。舞台写真や脚本のおかげで再現しやすかった分、観劇記がついつい長くなってしまいました(笑)。Tecklenburgの座席は木製ベンチなので、座布団は必須、出来れば背中用に毛布かクッションがあるとなおいいです。念押ししておけばよかったですね、すみません! 自然の光が移り変わる中での観劇は、一度体験すると病みつきになってしまいます。ドイツには他にも沢山野外劇場があるので、またの機会に是非体験して見て下さい。私のお薦めは修道院の跡地を劇場に改装したBad Hersfeldです。

    エムさんのように、このブログにたきつけられて(笑)実際に旅に出る人が増えてくれることが、何よりも励みになります。旅の感想も遠慮せずとことん語って下さいね! 私がドイツ語圏ミュージカルから貰った感動を、皆さんにも是非生で味わって貰いたいです!

  4. sheilaさん、コメントありがとうございました。来月から始まるウィーン版"Elisabeth"、早速観に行かれるのですね。個人的にはAnton ZetterholmのRudolfが気になってます。是非レポートお願いします! "Rebecca"でJan Ammannをご覧になれるといいですね。最近はFacebookや個人サイトでスケジュールを発表してくれる役者さんが多いので、ファンにとっては嬉しいところです。Janに急な仕事や病気が入らないことを願いつつ、カウントダウンを楽しんで下さいね。TecklenburgのMAは今月で終わってしまいますが、もし日本で再演されたら、そのときは是非足を運んで再評価してみて下さい。

    TDVはThomas Borchertが基本的にメインキャストですが、閉幕までの間はセカンドとサードの役者さん達も結構出番が増えるようです。個人的にはThomasよりもセカンドのFlorian Soykaの方が好みでした。いずれにせよ素晴らしいキャストと豪華なセットは見応え十分、感動すること間違いないですよ!

  5. spaさん、お返事をありがとうございます。お言葉に甘えてもうちょっとご報告を。Rebeccaの配役ですが、ダンヴァースはPiaさんです。IchはValerie Link、MaximがJan Ammann。MAでも同様でしたが、カーテンコールでの役者さんたちへの歓声が熱烈ですね。なんだか嬉しくなってしまいます。それから観客に男性が多いことにも驚きました。女性が圧倒的な帝劇とはずいぶん違うものです。
    ところでRebeccaで「私たちイギリス人」みたいなコーラスの部分がなかったように思うのですが?このシーンはちょっと皮肉っぽくて好きなのですが、時差ぼけで意識が飛んでいた(?)のかしら・・・。
    炎上シーンの映像を見ました!1段ごとにガスコンロの口があるような感じ(笑)。いずれにしても本物の炎があれだけあがるのだから、本を扱う仕事をしている私としては本が燃えてしまいそうで・・・???

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