Berlin:壁の跡地を訪ねて

2012年3月ドイツ・スイスの旅で”Tanz der Vampire”を観劇したBerlin(ベルリン)、今回はBerlin在住の友人の案内で巡った都市の景色をご紹介します。

まずは旧東側Mitte(ミッテ)地区のお洒落スポット、Hackescher Marktへ。最寄り駅はS-BahnのHackescher Markt、煉瓦造りのレトロな駅舎が印象的です。

Berlinのランドマーク、Alexanderplatz(アレクサンダー広場)にあるFernsehturm(テレビ塔)が見えます。手前のビルは、戦後の住宅不足を解消するために旧東独で多く建設されたPlattenbauと呼ばれる高層アパート。飾り気のない四角い窓が特徴的です。予め工場で作られたパーツを組み合わせて建設することで、現場での作業時間が短縮され、天候不順による工事の中断を避けられる利点がある一方、鉄筋コンクリート製の壁は従来の石や煉瓦を積み上げて作る壁よりもコストがかかり、また壁を連結するパーツやパーツの輸送費も、コストを引き上げる要因になっていたそうです。

青色のタイルが美しいHackesche Höfeの外壁。旧東独の信号機のキャラクター、Ampelmann(アンペルマン)のショップがあることで有名なHackesche Höfeの上階は、アパートとして利用されているそうです。どんなお宅か見てみたいものです。人気の建物なので家賃は高いそう。

Hackescher Marktから北上してRosenthaler Platzに向かいました。

「五行」と漢字の看板が出ている日本食レストランがありました。友人曰く、内陸のBerlinでは基本的に魚はあまり美味しくないので、北海から新鮮な魚を買い付けている日本人経営のお寿司屋さんを見つけて通っているとか。

如何にも欧州らしい装飾的な建物は、戦争や旧東独時代に失われて多くは残っていないそうです。住居にこだわるドイツ人には、こうした歴史的な外観を持つ建物への憧れが強いようで、周りの建物と比べると家賃は高めだそうです。

異なる様式の建物が連なる一角。

次の2枚の写真は交差する2つの通りを撮ったもの。通りの名称を記した標識に注目して下さい。

1枚目の”Gormannstraße”と2枚目の”Steinstraße”、書体が違いますよね。”Gormannstraße”は旧西側、”Steinstraße”は旧東側で使われていた書体です。

次の写真はunsicht-Bar Berlinというレストランの広告。目が見えない人がサービススタッフを務め、客は暗闇の中で食事をするというコンセプトレストランだそう。ダイニングエリアは自分の手も見えないくらい真っ暗だとか。ちなみにトイレには明かりがついているそうです(笑)。

unsicht-Bar Berlin
Gormannstr. 14
10119 Berlin – Mitte
Telefon: (+49) (0)30 243425-00
Fax: (+49) (0)30 243425-01
http://www.unsicht-bar-berlin.de/

Berlin市内には旧東西地区を隔てていた壁(Berliner Mauer)の名残があちこちに見られます。その一つ、Gedenkstätte Berliner Mauerを訪ねました。

壁の跡地を示す木製の杭。車が走る通りが旧西側、手前の緑地帯は旧東側です。

西ベルリンを取り囲んでいた壁の総延長は155km、うち43.1kmがベルリン市内を東西に分断し、111.9kmが西ベルリンと東独地域を隔てていました。厚さ10cm、高さ3.5~4.2mの壁の上端は、乗り越えられないように円筒形になっていました。西側からは壁際まで近づくことが出来ましたが、東側には壁と市街地を隔てる”Todesstreifen”、いわゆる「死のゾーン」がありました。上部に有刺鉄線を植え込んだ高さ2~3mのコンクリート壁や、触れると警報や警告灯が作動する金属フェンスから、東西を隔てる壁までの約70m幅の地帯には、照明や監視塔が設置され、監視兵や鎖につながれた犬が侵入者を警戒していました。

写真の監視塔はレプリカです。写真手前が旧西側、奥が旧東側になります。遠景中央にAlexanderplatz(アレクサンダー広場)にあるランドマークFernsehturm(テレビ塔)が見えます。

死のゾーンの全景は、道路を挟んで向かい側にある無料展望台から見ることが出来ます。

“Ackerstraße 1961″と、通りの名前と年号が書かれた建物の壁面には、1961年8月13日に築かれた最初の壁の写真が大写しになっています。

建設当初の壁は簡単に乗り越えられる高さだったため、素早く決断した人々は本格的な封鎖が始まる前に西側への亡命に成功しました。Bernauer Straßeと通りの名前が書かれた壁面の写真からは、当時の緊迫した様子がリアルに迫ってきます。Bernauer Straßeの南側に沿って壁が築かれた当初は、通りに面した建物の屋根や窓から飛び降りて西側に逃れた人々がいた一方で、飛び降りた際に重傷を負って命を落とした例もありました。1961年秋までにBernauer Straße沿いの建物の窓やドアは塗りつぶされ、出入り出来ないようにされました。

かつて壁を建設するために破壊された教会は、現代建築となって蘇りました。

ベルリンの壁が原因で命を落とした犠牲者は、Zentrum für Zeithistorische Forschung(現代史研究センター)によると、少なくとも136名にのぼるとされています。この他にも国境検問所付近で心筋梗塞等が原因で亡くなった人々が少なくとも251名いるとされています。またMauermuseum(壁博物館)の集計では、245名が壁の犠牲者、38名が自然死となっています。

1989年11月9日夜に西側への自由な通行を求めて押し寄せた東ベルリン市民の勢いに押され、国境検問所が開かれるまでの28年間、東西冷戦時代の象徴だったベルリンの壁。東西ドイツが統一して20年以上が経ち、壁があった時代を知らない世代が大人の仲間入りをし始めています。

Deutsche Bahn(ドイツ鉄道)が設置しているレンタサイクルのステーション。通常駅の傍にあることが多いのですが、最近は街中にも出来つつあるそうです。”Call a Bike“という名称でサービスが展開されています。

街歩きの締めくくりは、Berlinで一番美味しいというケバブ屋さん。U6、U7のMehringdamm駅を地上に出た正面にある、行列が絶えない屋台です。友人曰く30分以上並ぶこともあるとか。私が行った時も20分以上かかりましたが、その価値がある美味しさでした!

客が少ないと肉を焼く火を止めてしまうため、肉が乾燥しがちだそうですが、この店は回転率がいいので、常に焼きたてのジューシーな肉がサーブされています。”Gemüse Kebap”(野菜ケバブ)と聞いてベジタリアン系かと思いましたが、揚げたジャガイモやナスが入っていて野菜たっぷりという意味だそうです。

お薦めはクレープ状の皮に肉や野菜がたっぷり入ったDürüm(デュルム)。相当お腹を空かせていないと食べきれないボリュームです。ウェットティッシュをお忘れなく!

Mustafas Gemüse Kebap
Mehringdamm 32, 10961 Berlin
Germany
http://www.mustafas.de

Booking.com

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