Trier:ドイツ最古の都市と古代ローマ時代の遺跡群 Part 2

観光案内所主催の市内ツアーは、徒歩とバスのコースがありました。最初は徒歩ツアーにしようと思いましたが、あまりの暑さに負けてバスツアーに変更してしまいました。といっても環境に優しいドイツでは、下車観光中は当然エンジンはストップ。始動するのも乗客が乗り込んでからで、クーラーが効いていたのはツアー開始直後だけでした(^_^;)。

町の中心部から少し離れたところにあるAmpitheaterは、古代ローマ時代の円形劇場跡。紀元100年頃に完成したこの劇場は、当時のTrier市民18,000人を収容することが出来ました。広場の中央にはセリがあり、剣闘士や猛獣が地下から登場する仕掛けになっていました。

広場への入り口両脇の壁は崩落の可能性があるので、今は保護ネットで覆われています。

剣闘士が入場した門。入り口は高く、出口(アリーナ側)は低くなっています。

劇場地下には排水施設があり、戦いの血で汚れた広場を洗い流した水が地下に流れるよう、広場には少し傾斜がついているそうです。

地下には井戸もありました。

この石畳はローマ時代から残されているものだそうです。ローマの道と言えば、アッピア街道(Via Appia)が思い起こされます。

Kurfürstliches Palaisは、17世紀から18世紀末にかけて、Trierの選帝侯(Kurfürst)の住居として使われていました。この館の建設には、世界遺産として有名なWürzburg(ヴュルツブルク)のResidenz(レジデンツ)の設計者である建築家Balthasar Neumannの弟子達が関わっています。Balthasar Neumannは、翌日見学したBrühl(ブリュール)のSchlösser Augustusburg und Falkenlust(アウグストゥス城と狩猟の館ファルケンルスト)も手がけています。

Kurfürstliches Palaisのすぐ背後には、Konstantinbasilikaが位置しています。4世紀初頭、ローマ皇帝コンスタンティヌス帝がTrierを拠点としていた時期に、玉座の間として使われました。現存する古代ローマ時代の公共ホールとしては最大規模のこの建物は、現在ではプロテスタントの教会として使用されています。

高さ33メートル、奥行き67メートル、幅27.2メートルもの巨大な空間内には、一本の柱もありません。多くの柱で天井を支えている一般的な教会建築と比べると、古代の建築技術の高さが分かります。天井のマス目は3メートル四方もあるそうです(天井は後世修復されたものです)。ガイドさんの話では、この建物の内部に家が造られた時代もあったとか!

外壁には暖房用の炉の跡が残されています。床暖房の設備があったそうです。

Porta Nigra同様、時代によって増改築されたKonstantinbasilika。第二次世界大戦時には激しく損傷を受けましたが、修復されて現在に至っています。

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