Marie Antoinette感想 Part 1

Bremen版Marie Antoinetteは、轟く雷鳴と共に幕が上がりました。舞台中央でマントを纏ったCagliostro(カリオストロ:Ethan Freeman)が歌う1曲目は、”Illusion”(幻想)。バビロンやアブラハム、ファラオ達が生きた時代を直接知る、世界と共に年を重ねてきた魔術師が、「自由」や「正義」といった幻想を求め、そのためには流血や破壊をも厭わない人間達を嘲笑うかのようなこの歌が、帝劇凱旋公演のどの場面で歌われたのかは未見なので知らないのですが、冒頭から東宝版とは全く異なる展開で、正直面食らいました。とはいえEthan Freemanの迫力ある歌と舞台に渦巻く大量のスモークは、壮大なドラマの始まりを予感させ、観客の期待を大いに盛り上げてくれました。曲の途中でCagliostroが両腕を素早く挙げると同時にマントが左右に分かれ、舞台上方に飛んで消える演出がカッコイイ!

そこへ登場したのは、舞踏会へと急ぐBeaumarchais(ボーマルシェ:Udo Eickelmann)。CagliostroはBeaumarchaisに時間を尋ね、1775年5月5日であることを知ると、「革命まで丁度あと14年の時点に来ましたよ」と観客に話しかけます。人間世界と直接の関わりを持たない、別次元の存在として描かれていた東宝版と異なり、Bremen版でのCagliostroは、他の登場人物と時々接触し、より直接的に歴史を操っています。東宝版で語り手となっていたBeaumarchaisが、台詞のある役として登場するのは、続くMargrid Arnaud(マルグリット・アルノー:Sabrina Weckerlin/Marion Furtner)からすみれの花束を騙し取る場面だけです。

硬貨の代わりにボタンを渡されたことに気づき、怒りにまかせてBeaumarchaisの後を追うMargrid。続いての舞踏会の場面では、白地に金の装飾を施した宮殿の壁が、何枚も天井から降りてきます。よく見ると決して豪華な作りではなかったですが、電飾メインの東宝版より、宮殿らしさが感じられました。ここで使われる音楽は、東宝版とはかなり違っており、聞いたことのないメロディーばかりでびっくりしました。全体的にゆったりしていた東宝版のメロディーラインとドイツ語歌詞の相性が良くなかったのでしょうか? ドイツ語版脚本と東宝版CDのブックレットを比べると、内容的にはほぼ同じですが、曲はまるで印象が違います。ウィーン版MOZART!と他のバージョンでは、冒頭の奇跡の子の演奏会場面が異なるメロディーで歌われていますが、それと似たような変更です。

「パンがなければお菓子を食べればいいのに」のくだりも、東宝版は「何故~何故~」と明るく軽やかなメロディーに乗っての輪唱ですが、Bremen版は”Kuchen, Kuchen, ha ha ha ha!!”(ケーキ、ケーキ、ハハハハ!!)と嘲笑うような、何処か不気味なメロディーをアンサンブルが一斉に唱和し、貴族社会の華やかさの裏にある醜い一面が、より強調されていました。

曲の印象だけでなく、登場人物の描き方も東宝版とは異なっています。Marie AntoinetteはMargridにシャンパンを浴びせた後、新曲”Langweilen will ich mich nicht”(退屈なんてしたくない)で、若さや美しさを謳歌し、過去も未来も気にせず、少しでも楽しみを感じられることなら全て試したい、退屈などしたくないと享楽的な性格を全開にし、アンサンブルと舞台中を踊り回ります。王妃役はRoberta Valentini、Maricel、そして普段はAgnes(アニエス)を演じているMaike Switzerの3人で観ましたが、特にファーストのRobertaは27歳という彼女自身の若さが、王妃の輝くばかりの無邪気さをストレートに現していました。東宝版では日本人好みの悲劇の王妃像を傷つけるのを避けたのか、涼風真世さんのおっとりとしたイメージのせいか、1幕の王妃はややお上品になりすぎたと感じていましたが、Bremen版ではMarie Antoinetteの愚かさ、浅はかさ、単純な部分が出ていて、王妃への怒りを燃やすMargridとの対比が、より鮮明に伝わってきました。もっともこの新曲のメロディーは、やや安っぽい気がしないでもなく、Maricelが歌ったときは、宮廷というよりも、キャバレーで踊り狂っているような気がしてしまいました(^_^;)。

Herzog von Orléans(オルレアン公:Thomas Christ)は、知的に洗練された黒衣の紳士の裏側に、陰湿な野心を隠し持っている人物。硬質なイメージが映画版「オペラ座の怪人」のファントムにどことなく似ていて、高嶋政宏さんのエキセントリックなオルレアン公とは随分印象が違いました。劇中での存在感も、東宝版より大きくなっています。その分割を食った感じがあるのがGraf Axel von Fersen(フェルセン伯爵:Patrick Stanke)。東宝版では、舞踏会の場面で王妃をたしなめる台詞があったと思いますが、Bremen版ではカットされたため、主要登場人物の顔合わせとなったこの場面での存在感が、薄れてしまいました。

ここで一言衣裳について。写真ではいい感じに見えていた衣裳ですが、間近で見ると質感がダメダメでした(- -;)。生地や作りが安っぽく大味で、東宝版と比較すると明らかに見劣りしていました。王妃が踊るシーンで、ドレスがくるっと回るのですが、スカートの中身がほぼ空っぽ・・・。レースや布でボリュームを出した衣裳を見慣れた目には、寂しい限りでした。

“Blind vom Licht der vielen Kerzen”(百万のキャンドル)での、貧民が舞台奥からゆっくり前進してくる演出は、東宝版と基本的に同じ。明かりが灯った窓が付いた家々のシルエットが吊り物として出てくるのですが、どうも作りが安っぽい。照明も陰影の深みがなく平板で、場面のポイントとなる箇所に視線を誘導してくれるデザインとは言えませんでした。舞台照明が酷いと思った記憶は今まで殆どなかったので、ここまで気になるとは我ながら驚きました。

歌の内容は基本的な流れは東宝版と同じですが、ニュアンスが微妙に違っています。貧民を幽霊にたとえ、明るい窓の内側で笑いさざめく貴族達は、外に目を向けても夜の闇しか見えないと、より具体的な描写がなされています。また東宝版の歌詞では貴族達が目を覚ますことを期待している、どちらかというと他力本願的な内容でしたが、ドイツ語歌詞の後半は、「間違ったことは変えなければならない、こんなことは続かない」とより怒りのこもった表現になっており、Margridが革命に加わることへの伏線になっています。

Margridの本役Sabrina Weckerlinは、声量たっぷり、迫力のある歌い手です。最近のドイツ・ミュージカル界で注目を集める存在なのもうなずけます。ただ若さによる経験不足なのか、歌は確かに上手いのですが、やや怒鳴りがちになるところがあり、演技や感情面でも何かが足りない印象を受けました。セカンドのMarion Furtnerも歌は勿論上手いのですが、やや線が細く、二人のMAとしてMarie Antoinetteと並び立つには、迫力不足の感がありました。個人的にはBremen版の二人よりも、東宝版の新妻聖子さん、笹本玲奈さんの方が、特に演技面では納得できるMargridだったと思いました。

そこにFersenが登場し、王妃からと言ってお金の入った袋を渡そうとしますが、Margridは花束の代金分だけ取ってFersenに袋を押しつけ、舞台から走り去ります。「君を取り巻くのは夜だが、君の中には光がある」とMargridに心を動かされるFersenでした。

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